蒸機の流線型について2014年12月16日 08:26

 昨夜は、Adlerのエアテストをして、客車7両の修理をしていました。まだ途中です。7、8年まえだと思いますが、この機関車の(たぶんレプリカ)がイベントで走ったときの写真を(勝手に)貼っておきます。今、直している客車の中にもこの黄色いのがあります。馬車の時代なので、ほとんどそのままの感じですね。
 イギリスのロケット号などの古典機も、今見るとのんびりとした雰囲気ですが、その当時は最先端技術による最速の機関車でした(だからロケットという名前なのです)。
 昨日までレストアしていたBR05も、ナチスの威信をかけた流線型高速機関車でした。ガンダムのジオンは、ナチスがモチーフになっているので、このピンクを真似したのでしょうか。BR05は、当時の動画も残っているので捜してみて下さい(もちろん白黒です)。下の写真は、ニュルンベルグ博物館の1号機です。200km/hの世界記録を樹立した2号機、形が違う3号機はともに解体されました。
 BR05以外にも、流線型に作られた、あるいは改造された機関車は世界中に沢山あって、ブームになったようです。下の写真は同じドイツのBR03。この形などは、日本の流線型電車にそっくりです。
 日本でも流線型ボディの蒸機が幾つか試されましたが、ナローゲージだったことと、3気筒エンジンでさえ充分に成熟させられなかった当時の日本では、夢物語の真似事でしかなかったでしょう。それくらい、イギリスやドイツの鉄道に比べて日本は技術的に遅れていました(歴史が浅いので当然ですが)。
 高速車は、流線型だから実現できるのではなく、やはり機械系の設計理論、工作精度、材料の信頼性、整備方法によるところが大きく、形はどちらかというと「見た目」重視でした。たとえば、このBR05は、各動輪の横にシャッタがあって、これを開けて点検、給油ができましたが、整備の観点からは流線型のカバーは明らかにマイナスで、そのため短期間で姿を消し、多くはカバーを外して、元の形で使われることになりました。
 ちなみに、このBR05の世界記録を2年後に塗り替えたのが、イギリスのマラードという機関車で、これも3気筒です。僅かに3km/h弱上回っただけの記録ですが、これが現在でも蒸気機関車の世界記録になっています(非公式のものでは230km/hくらいまでありますが)。また、BR05の時代でも、気動車(ディーゼルカー)ならばもっと高速で走るものが既にありました。
 それから、BR05の3号機は、下の写真のような形で、運転席が前にありました。これを、キャブフォワードと呼び、今日の機関車では当たり前のデザインですが、当時は斬新だったわけです。

コメント

_ おおきにくに ― 2014年12月16日 12:24

迫力の列車が写真が勢ぞろいですね。いまはもうないけど。
キャブフォワード、運転士はちょっと怖かったでしょうけど誇らしげ。

_ ネム ― 2014年12月16日 18:24

こんばんは。
ロケット号によく似た、かわいい機関車ですね。
イギリスのものはおしゃれですよね。。

BR05は、どうしても普通の電車に見えてしまって、いったい運転席はどこにあるのだろう・・・なんて思ってしまいました。

検索が苦手で、どうしても実機の動画にたどりつけませんでした…(泣)

_ haru ― 2014年12月17日 10:15

なるほど~、シャアピンクはここからきてたのかぁ。

長い文章、興味深く読みました。
「見た目」重視でもこっちの方がわくわくします。
なんか今の鉄道はツマラナイ・・・車と同じですかね。

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